ロータリー創設から確立までの背景!

<如何に捉えるか?>

1909年1911年

<1910年>

 1910年-(明治43)- シカゴで最初のロータリー大会、16RCが参加する。
 代議員は29名、綱領が正式に決定される!
 全米ロータリー協会発足(直ぐに国際協会と改名する)、初代会長はポール・ハリス。最初の事務総長にはチェスリー・R.・ペリーが選出された。会員総数は1500名に達する。
 米国外で最初のRCがカナダ、マニトバ州のウイニペグに結成される。
 42才のポール・ハリスはスコットランド出身のジーントムソン嬢と結婚する。
 ロータリーの事務所はカルメット・ビルに置かれた。シカゴに市政調査会!

 ワシントンで米ボーイスカウトが画家ダニエル・ビアートによって結成さる。
 米総人口は9197万2266人、人口密度は12人/1平方キロ、10年で21%増加。
 シカゴの人口218万5千。ハレー彗星大接近!ボクシング、黒人初の世界一。
 NY.のペンシルベニア駅オープン。カーネギー平和基金創設。日韓併合なる。
 メキシコ革命勃発。米・白人奴隷禁輸法。七里が浜・逗子開成ボート部遭難!

<注> チェスリー・R.・ペリーについて
  1908年1月、第5番目のロータリアンとして知られたハリー・ラッグルスはシカゴRCに一人の新会員候補者を紹介した。生粋のシカゴアンである。
 彼はハイスクール時代に「文学会」会長や学校新聞の編集幹事に挙げられていた。さらには学内野球部、蹴球部のマネージャー、軍教部指揮官も勤めた。後にシカゴ市立図書館や夜間学校に奉職し、また米西戦争の時、米国陸軍少尉として出征し、帰りのち大尉に昇進した。
 従軍中にキューバにて当時のシカゴ・タイムス・ヘラルド等3?4誌の戦時通信員をも兼ねていた。
 このような多方面の経験は、後に、彼がたまたま生涯の職務と定めたロータリーへの奉仕に従事する場合に、実に絶大な効用を示したのである。
 彼はその後32年間の長きにわたって事務総長を勤め、1942年に70才をもって、自ら進んで勇退した。
 彼は元来教養に恵まれていたとはいえ、自らの運命をよく開拓したことの多い人である。文学の愛好は彼の生涯に多大の影響を与えており、その博覧は驚くべきものであるが、その内容がロータリーの目的に関連性を持つ文献で見逃したものはないと言われる。
 かくてチェスリーの広い視界は遠く将来の可能性を見通し得たのであって、彼の年来の献身がよくロータリーを現在のようなものに育て上げたのである。加えて彼は人に倍する精勤者であった。
 ポールは彼を「ロータリーの建設者」と呼んで絶賛した。彼は名利に恬淡であったことでも知られている。

※ 「徹すれば、哲す」- アーサー・フレデリック・シェルドン
Arthur Frederick Sheldon
 ロータリーの標語として、ロータリアンに膾炙している言葉に He profits most who serves best (最も良く奉仕するものは、最も多く報いられる)というのがある。これはシェルドンが初めて提唱したもので、彼は遂に国際ロータリーの会長とはならなかったが、ロータリーにとっては功労者の一人である。
 彼はミシガン州に生まれ、ミシガン大学を卒業、Kappa Sigma フラターニチーの会員であったが、ロータリーが発足してから3年後の1908年1月にシカゴRC に入会した。彼は英国ロンドン及びマンチェスター等のロータリークラブの名誉会員であった。
 彼は非常に熱心なロータリアンであって、ロータリーの運動のあり方については、ポール・ハリスと良く談合したものである。その熱意にほだされて、ポール・ハリスは1910年にシェルドンを国際ロータリーの前身である全国ロータリークラブ連合会で最初の「職業法委員会」の委員長に任命している。
 1911年の大会での講演で彼がその職業哲学として用いた言葉がロータリー標語に示された文句であった。1910年の大会以前にシェルドンは、販売術、商業成功の秘訣、奉仕、職業構造等々の理論についての著述をしている。
 彼はシェルドン販売技術学校を創設し、月刊雑誌 The Business Philosopher の主幹であった。彼はシェルドン学校の名誉校長であり、同校で出版している刊行物の主幹であった。彼は広く英語圏で、職業問題についての講演を行った。その多くはロータリークラブでも発表されている。
 "幻想のない処、人々は滅びる" これは彼が、1921年にスコットランドのエジンバラで行われた国際大会で行った講演「ロータリーの哲学」で述べた言葉である。彼は1935年12月21日に逝去している。

※ シェルドンは最悪のシカゴの実業界を精査するうちに、寛容をもって適正公明に経営された商店・会社のなかに最も成功しているものがあるという事実に気がついた。常に思いを馳せる中で、その思想は電光のように閃き、現れたとされる。
 1908年のある夕、ミネアポリスの理髪店の椅子からその組んでいた長脚を解いて飄然と戸外に出たシェルドンは散髪中にまとまった彼の新思想を確信していたと言われる。それは実は、長い長い思弁の帰結であった。彼はその熱き確信をロータリーに繋げたのである。