<1909年>1909年-(明治42)- 前年に引き続き、弁護士ホーマー・ウッドがオークランド(最初の週1回例会クラブ)、シアトル、ロサンゼルスにRCを設立。続いて六番目にニューヨークRCが創設される。さらにボストンRCが誕生し、ロータリーは太平洋岸から大西洋岸まで拡がった。 こうなるとハリスばかりでなく、拡大策に反対していた「うるさ型」の大半までもが、有頂天になった。(The First ROTARIANより) ロータリー会員総数510名! またロサンゼルスで「第2のクラブ」問題が生じる! <ハーバード・クィックの金儲けの企み> この年の一番突飛な出来事としては、ロサンゼルスで「第2の」ロータリークラブが設立されたことだった。 これはハーバート・C・クィック(Herbert C. Quick)という実業家が始めたもので、正式なものではなかった。 クィックはこの頃失業中で、自分で厚かましくも「ロサンゼルス・全米ロータリー・クラブ」(National Rotary Club of Angeles)と名付けた組織を作り、その会員権を売ることですばらしい金儲けができると考えたのだった。 シカゴではこのため大騒ぎが起こり、提唱者達との間に激しい文書合戦がまき起こった。 しばしの間この泥試合が続き、1912年になってようやく、それぞれのクラブから一人ずつ分別のある代表が出て、両者の違いを徹底的に検討した結果、ライバル同士のこの二つを一つのクラブにまとめることに成功した。 米「ホワイト・フリート」艦隊が世界一周の航海を終える、示威活動目的。 米ピアリー、北極点に初到達、星条旗をたてる!しかし後に北極点論争発生。 親日家・タフト新大統領の要望に対し、東京市参事会が尾崎行雄市長名でワシントンのポトマック河畔に桜の木2千本を寄贈!しかし約半数が病虫害に冒されていて、1912年に計3千本を再度贈る。 ジェロニモが死去(79才) 第1回国際都市計画会議がワシントンで開催される。米人口が9千人超! NY.で全米黒人委員会(NNC→NAACP)結成。 ハンブルグでシオニスト会議。 NY.に2段式吊り橋マンハッタン橋が開通する。 日本の生糸輸出が世界一に! 東京市内の自動車台数は38台のみ、同年米自動車生産台数は12万7千台超! 有馬四郎助が横浜根岸に日本最初の「女子感化院」設立。伊藤博文暗殺さる。 三井合名会社設立-三井家同族会の法人化、三井銀行、物産は株式会社改組。 横須賀で大火、589戸焼失。続いて大阪市北区で大火、一万四千戸焼失。 ※クラブ社会アメリカ 世界中から寄り集まった多種多様の移民から構成された国という意味において、「合衆国」アメリカは、メイフラワー号の清教徒たちを持ち出すまでもなく、宗教的、政治的、経済的な様々な理由によって母国を離れ、新天地を求めて移住してきた人々が、イギリスの植民地のくびきから解放され、話し合いの結果、一定の「契約」にもとづいて独立の主権国家として出発した国である。だからアメリカ合衆国はその建国の時点から契約国家であったと言ってもよい。 こうしたアメリカの性格は、歴史上いずれの時点から国が成立したのかさえ定かでない日本のような国と比較するとその相違点が明らかになるだろう。 国家の性格が契約的であるということは、国家を構成するアメリカ国民も、その市民レベルの社会生活の中で、様々な契約にもとづいた社会集団をつくって生きているということを意味する。 1831年から1832年にかけてアメリカを旅行したフランスの著名な検事補A・ドゥ・トクヴィルは、その日記の中で、この新しい共和国アメリカを好意的に観察し、随所にユニークな解釈をくだしている。 彼が注目したアメリカ合衆国の特色の一つは、その庶民生活の中の徹底した民主制や合議制であり、その結果としてのクラブの盛んな活動であった。トクヴィルによれば、 「アソシエーションの力は、アメリカにおいてその最高の域に達した」のである。 アメリカでは、ある人が学校や病院の建設であれ、あるいは道路や橋梁の改良であれ、何か社会的な改良や改革を思い付いた場合、けっして政府や関係機関にその計画を押し付けようとはしない。彼は彼の計画を世間に公表し、彼の努力を援助するよう他の人々に呼びかける。そして手に手を取り合って目的達成のために障害にぶつかってゆく。 トクヴィルは、アメリカにおけるクラブの発達は、新しいこの共和国の開拓史の中で自然に創られたものであると考えた。頼るべき政府も警察も身近にはないフロンティアの開拓民たちは、互いに協力し合って障害に立ち向かっていくより他に生きる途はなかったというのである。 もちろん、このようなクラブ的集団というのは、どんな社会にもみられるものであるが、アメリカ合衆国では特にその存在が目立っているのである。 人類の社会集団は、その紐帯の原理にもとづいて、家族や同族のような"血縁集団"、村、郷、団地のような"地縁集団"、そしてクラブや講やギルドなどのような"約縁集団"に分けることができる。 したがってここで問題にしているクラブは約縁集団に分類されるが、約縁集団は次のような性格を持っている。 「何らかの共通の目的、関心を充たすために、一定の約束の下に、基本的に平等な資格で、自発的に加入した成員によって運営される、生計を目的としない、パートタイムの私的な集団」。 アメリカ合衆国は、血縁集団、地縁集団よりもなんらかの共通の目的や利害のために、一定の約束(契約)の下に結ばれた"約縁集団"つまりクラブ集団が自由奔放にその個性を競い合っている国なのである。 トクヴィルのアメリカ紀行より約80年後の、1922年に、一人の中年男子を通して、アメリカの市民生活を見事に描いた小説『バビット』(Babbitt)が出版された。 作者シンクレア・ルイス Lewis Harry Sinclair(1885〜1951、ミネソタ州の医師の家にうまれる、イエール大学卒、アプトンシンクレアの社会主義生活団に参加、20年代のベストセラー作家、第1次世界大戦後の繁栄の中で物質的成功に安住する中産階級の俗物性の描写にすぐれ、30年アメリカ人としては初めてノーベル文学賞を受賞する)は、この書物の中で、ジョージ・バビットと呼ばれる46才になる不動産業者の公私にわたる生活を描いているが、この典型的なアメリカ人バビットとクラブとの関係が面白い。 彼の時計の鎖には「エルクス」の会員であることを示す大きな黄色いエルク(鹿の一種)も歯がぶらさがっている。カフス・ボタンは「ブースター・クラブ」のものである。彼はまた町の「商工会議所」の会員である。 バビットはまた、コーヒーを飲み、食事をし、玉突きができる「アスレティック・クラブ」の会員であると同時に、毎土曜日には「カントリー・クラブ」に駆けつけてゴルフに興じる。宗教的には「プレスピテリアン教会」の信者であるが、面倒な信条や教義にはあまり興味がない。 こうして彼の日常生活は、クラブとの関係なしに考えることはできないのである。 このように、アメリカ社会に多発するクラブ集団の機能については、トクヴィルの相互扶助説をはじめ、それ以後の、社会学者のリンド夫妻の余暇論、社会人類学者のW・L・ウォーナーの権力構造論、心理人類学者F・L・K・シューが「クラン、カーストおよびくらぶ」で論じた親族関係からの演繹論など様々な解釈があるが、ここでは全てを紹介はしない。 しかし、いずれもアメリカ社会におけるクラブの重要な機能に注目したものであり、一面の真理を突いているのは間違いないが、アメリカ合衆国がその成立の当初からクラブ的性格を内包していたことを見落としてはならないだろう。 <「アメリカの社会」、猿谷要編、綾部恒雄著、弘文堂より> |