<1906年>1906年-(明治39)- 初期ロータリーの伝統行事となった「夫人の夕べ」 が始まった。創立時に入会した印刷屋のハリー・ラグルス、不動産屋のウィリアム・ジェンセン等に加えて、大物ロータリアンとして保険会社の重役であったチャールス・A・ニュートンが入会する。 友愛のために、ラグルスは歌をうたい、皆が共に会食をするようになっていた。 会長はアル・ホワイト。 1月に最初の定款ができる。それは以下の通り。 (1)会員の職業上の利益の増進、 (2)親交と社交のクラブに普通付帯する望ましい事柄の増進に、加えて (3)シカゴ市の最善の利益を振興し、会員間に市民としての誇りと忠誠の精神を鼓舞すること、であった。 (この第3項はドナルド・カーターの批判を受け、追加された) 会合の回り持ちと1業1人制は、古くはソクラテスのギリシャ時代にあり、近くは17世紀の初めにロンドンにこのような決まりを持つクラブがあった。 またフィラデルフィアにはベンジャミンフランクリンがつくった職業別会員制の友好と向上をめざすクラブが40年も続いていたと言われる。 (R日本60年史)ポール・ハリスはこれに奉仕の理想を求める熱き志を付加! 《アプトン・シンクレアが小説「ジャングル」を発刊-これはシカゴの食肉工場で働くリトアニア系移民労働者の生活と工場内部の不潔な労働条件を描いて衝撃を与えた。→ 労働者が肉を煮る大桶に落ちて処理され、人肉が市場に出たこと、腐ったハムやソーセージが回収され、薬品を注入して再処理されて売られていること、倉庫内の製品の上には鼠の糞が大量に溜まっていることなどが描かれていた。 これを読んだセオダー・ローズベルトはショックを受け、早速実地調査を命じ、「食肉検査法」が制定されるにいたった。》 米人口は8545万人。この年の移民は110万人に達する。 失業率は低率1.7%。米・ヘップバーン法(鉄道を統制)。サンフランシスコ大震災で市内は3日間燃え続ける(死者約1,000人、家を失った人は30万人に達する)。 → 日本政府はただちに、巨額な計50万円(現在価値50億)の見舞金送付! 日本人の米移民が激増!、ハワイから米本土にシフト-年間で1万8千人。 岡倉天心の『茶の本』がNY.で刊行され、日本の高級ガイドブックとされる。 サンフランシスコで日本人学童隔離問題発生、同市政は労働組合の支配下。 米議会が露でのユダヤ人迫害事件を非難!東北地方大飢饉、窮民29万人! ※ シカゴの四つの星(シカゴ魂!) 悲劇を記念するという観点からすれば、シカゴほど興味深い都市はないだろう。 シカゴ市の旗の中央には、四つの赤い星がちりばめられているが、それぞれがシカゴ市史において都市の発展に関わった事件をあらわしている。 二つは当地で開催された大博覧会-1893年のシカゴ万博と1933年の「進歩の世紀」を示している。 もう二つは縁起の良さからは程遠い事件、すなわち1812年の虐殺で破壊されたディアボーン砦と1871年のシカゴ大火である。 この性格の異なる四つの事件を表わす星が並んでいるのほ驚きである。 博覧会は市民の誇りの源として当然のものであり、これが含まれるのほ驚くには値しない。 しかし、ディアボーン砦の虐殺とシカゴ大火は別物であり、一見したところ市民の誇りとはなりえないように見える。ディアボーン砦は当地で最初の白人入植地であったが、1812年戦争の際、先住民によって焼かれ、住民のほとんどが殺された。 入植者たちは後にこの地に戻り、1837年にシカゴ市を建設した。 1871年の大火は19世紀のアメリカにおいて、燃えやすい木造建築の都市に災害をもたらした何十もの大火災のうち、最も被害が大きいものであった。 この火災による死者は比較的少なかったが、財産の損失は巨額に及び、シカゴ市政の多くの欠陥が露呈された。 ディアボーン砦の虐殺は西部入植における重大な悲劇であったし、シカゴ大火は稚拙な建築技術と防火対策の不備を含め、人々を非常に困惑させるものであったため、いずれに対しても市民が誇りを持つことなど、とうてい期待できない。 しかし今日では、両者とも非常に異なる見方で捉えられている。 ディアボーン砦の虐殺は、不幸に直面しても立ち直る力をシカゴが有していたことを示すものとして理解され、大火は、障害を克服し、不幸の瓦礫の中から不死鳥のごとく蘇るシカゴの力のシンボルと見なされているのである。 この二つの事件を不幸な出来事から市民の徳と力のシンボルに転換させたことは、シカゴの「シカゴらしいところ」であり、世に喧伝される 「シカゴ・スピリッツ」のベースであるともいえよう。 (記念碑の語るアメリカ、ケネス・E・フット著、和田他訳、名古屋大出版会) ※ポール・ハリスの言葉 (佐藤千寿氏の同名著作を参照) ロータリーは幾世代にわたる無形の世襲財産ともいうべき"寛容"という生成不滅の精神と、「やろう」" I will "というシカゴ魂とを受け継いできた。 |