相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第571回例会週報

570回 | 572回 | 2004-05週報目次
◆ロータリー100周年にあたって
福本 俊雄 会員

 話しをしろということですので私の感想を述べさせていただくことにしたいと思います。

 ちょうど私といっしょに5分区で会長をしておられました中で印象深く記憶に残っておりますのは今うちの会員であります西迫 先生のお父さんの西迫平雄さんが津久井ロータリークラブの会長をされておりスバラしいロータリアンでした。
 又、相模原ロータリーの竹内健二さん、この方は海軍だったと思いますが戦闘機乗りで、私も少年時代ゼロ戦にあこがれたものですから、なつかしい思いでつきあいをさせていただきました。
 相模原大野ロータリーの兒玉一郎さんはグリーンロータリーの直後に発足した会の会長さんということで仲良くさせていただいております。又、当時の諮問委員として小林会員のお父さん小林 亮さんが社会奉仕担当をされておりました。私は幸いなことに素晴しい幹事を当てがっていただいていたことです。佐藤眞吾会員です。

 私の年度は家庭集会をできるだけ多く行い、会員各位の意見を掘り起こして会員間におけるつながりを密にしたいと考えておりましたのである意味では言いたい放題という面があり自然な生長のためにはこれも止むを得ないと思っておりました、先ず「ロータリーってよく解らないが」が巻頭のように使われる時期でもあり、これを聞く方も同じ思いで受け答えするという状態でしたが、今はなつかしく思い出されます。当時やはりこれはロータリアンとして、又グリーンロータリーを創り上げたいという熱情からであったと思います。

 このような状態の中で、これらの情報を的確に収集し会運営に成果をあげていただいたのが幹事でした。

 当社設立時のガバナーは生沼富治パストガバナーでした。彼は退任に当って「私はおかげ様で善良なロータリアンと触れあうことができました。」その方々は全て成熟した良識人ばかりでした。良識人の集まりだから「ロータリークラブは人材集団」であると評価される訳です。
 「“手に手つないで”“助けられたり扶けたり”隣組の住人達が心情と風味を結び合わせて独自の考えを自主的に運営してゆく、これがロータリー本来の姿であって欲しい。」といっておられます。“庶民の心”“路地の味”これらの心情をわきまえた立派なロータリアンと思っています。

 私の時のガバナーは山本淳正パストガバナーで彼が云っておりますようにポールハリスの言葉を引用して「一種類の花、一つ色ばかりの花壇に何の面白さがあろう色々あってこそ人生に薬味がきくというものだ」としてロータリーの綱領を推進するために各々のクラブが多彩な花を咲かせていただいた。といっております。彼のガバナー当時の「ガバナー月信」は彼の人柄のように贅を尽くしたものになったが次のガバナーになって極端に貧素なものになった。この二人のガバナーを見る限り、それぞれ個性的でガバナーらしいガバナーだと思っている。百周年というのは「これからの百年に挑戦する最初の年だからこそ、ロータリーの原点に立ち返って自らのクラブを考えよう」ということだと思います。

 ロータリーの原点は職業奉仕であり職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりであって、職業人として良識ある人材集団であるからこそロータリーは幅広い奉仕活動が期待されるようになっているのだと思われる。わが会はロータリー100年の中の12であるか、そのロータリーの重さは12年も100年も同じである。わがクラブの10周年記念誌の中に10年皆出席の方々はロータリーとして大切なことが語られていると考えますので引用させていただきたいと思います。

 今井会員は、ロータリーに魅力があったから、素晴しい仲間がいたからです。遠藤会員は、入会当初慣れないこともあって出席が重荷であったが今では生活の一部になっている。出席目標がその人の人生に万金に優る至宝をもたらしている。山本会員は、人生の中で一週間の一こま(一時間)が何ものにも換え難い貴重なものである。佐藤(眞一)会員は、創立時に親クラブの皆様にお世話になったこの体験です。皆さんの懇切丁寧なご指導いいようのない温もりが皆出席の原点となっている。例会が終って帰るとき神社にお参りした後のような爽快な気分になる。神崎パストガバナーは「例会がつまらない」と他人のせいにしてはいけない、例会は例会に出席している「いま」そのものに意味がある。生活の中にきちっと位置づけることができればすべて自分にとって有益である。」といわれている。澁谷会員は、良きメンバーに恵まれた。一週間に一度なのにリズムが合わない。無理して出席した。それは部会の活動が休めないことになる。例会がいつの間にか生活サイクルの一部になっている。原会員は、個々人の出席状況は個々人のリズムであり、その時々のベストであればよい。出席しなければ会員相互のふれあいはない。出席はロータリー活動の大前提であることは自明の理である。ポールハリスは「平均出席率が高くなくてはその重要なる目的を達することが出来ない。最良のクラブとは最高の出席率を保持するクラブである。」を引用し、又、原会員は「形は心を求め、心は形を求める」とロータリーが発展してゆく道筋というか、課程を述べておられるが当会の10年過ごした形と心が今ここにあるのでありませう。又、原会員はふれあいなくして仲間たり得ないともいっておられる。宮崎会員は、金曜日の12時から2時まではロータリーの時間と定めました。皆出席ということは、健康で仕事や家族に問題がなかったということです。又、大事なのは会員相互のふれあいである。谷田貝会員は、これも健康、仕事の安泰、かけがえのない仲間による贈物。例会は仲間と共に過ごす時を少しでも価値のある意義のある時間にしようと考えている。

 以上のようにこの10年間皆出席されたなかからロータリーにおけるそれぞれの思いをお聞かせいただいてロータリーのありのままの姿をかいま見たように思っています。個有名をあげお話させていただき私の至らなさや思い違いなどあろうかとも思います。その際はどうぞゴカンベンいただきますようお願いします。

 この八人の方々のそれぞれの思いと同じ思いを皆様お持ちのことと思います。

 原会員のお話のとおり「形は心を求め、心は形を求める」つまり10年間当会員はこの心と形を追い求めて来、これからも求め続けてゆかなくてはならないことでしょうし、この名題をひっさげて新たな100年のスタート台に立ったということではありますまいか。