相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第637回例会週報

636回 | 638回 | 2005-06週報目次
◆「市民がつくる総合誌「季刊 アゴラ」について」

「季刊 アゴラ」 責任編集者 山田 広美 氏
アゴラの紹介……市民が作る総合雑誌
 私は「市民が作る総合雑誌アゴラ」の編集長をしております山田と申します。
 みなさんのお手元にバックナンバーを配らせていただきましたので、ご覧下さい。

●名刺……修行中の編集長
 私の名刺ですが、私は編集長ということになっていますが、実は中身の伴わない編集長なんですね。「私が編集長です」などとは言いたくないんです。そんな気持ちの表現として名刺には編集長の隣りに(修行中)とつけました。編集長となって間もなく2年になりますが、相手にもよりますが、未だにこの名刺を使っています。
 何事も未熟な自分のままで体当たりの修行中の編集長のことと、アゴラという雑誌のお話しをさせていただきます。

●創刊号……アゴラの創刊、西尾さん
 アゴラは春夏秋冬の年4回、市民有志が編集委員となり、企画・編集・発行している雑誌です。
 名前のアゴラとはギリシャ語で広場という意味です。
 掲載内容は芸術、教育、歴史、平和、行政などをテーマに、市民の活動紹介、情報交換、問題提起などを取り上げ、「市民がつくる総合雑誌」のキャッチフレーズの通り、市民のみなさんに原稿を書いて頂いたり、取材をさせて頂いたり、また、市民のみなさんと一緒に座談会を開いてそれを掲載しています。
 毎号毎号、市民が主役の内容になっています。
 このアゴラの創刊されたのは今から9年前です。1997年1月の市長選挙が終わってまもなくのことでした。その時の投票率は40パーセント。創刊者の西尾顕爾さんは、自分の街の市長を選ぶ選挙にこんな低い投票率でいいのか、とその低さを嘆き、相模原の中で自分の住む町のことを考え、市民の論議がもっと起きることを願って、その年の4月創刊号を発行されました。

●アゴラとの出会い
 私は創刊当時アゴラの事はしりませんでした。市民活動にも係わりはもっていませんでした。
 その頃私は子どもが通う小学校のPTAの委員をしていて、50周年事業として地域を掘り起こすの副読本づくりをしていました。
 その副読本が西尾さんの目にとまり、副読本づくりの紹介をアゴラに執筆したのがアゴラとの係わりのスタートでした。
 私は実は詩人でして、現代詩を書くんですね、それでアゴラと出会ってからは、依頼されてアゴラに掲載する詩の作品を集める仕事を手伝っていました。
 
●2001年9月呼び出される
 3年くらい、遠くからアゴラを手伝うことをしていたのですが、ある日突然編集会議に呼び出されたんです。大事な会議だから来て欲しいと。
 行ってビックリだったんです。編集長の西尾さんが息子の住む他県へ引っ越したいから、アゴラの編集長を引き受けてくれと言うんです。アゴラの編集委員でもない人間にですよ。むちゃくちゃな話でした。その時呼び出されたのは二人で、もう一人は今日会場に来てくださっている障害者地域作業所の磯部さんでした。
 磯部さんは、逆に説教をして帰って行かれたのですが、私はその後も何度も説得攻撃をうけました。
 でも、なにしろ乱暴すぎる話なので、普通の筋道で、編集委員の一人として参加することになったんです。
 西尾さんも引っ越しの件は立ち消え、私は西尾編集長にくっついて、あっちへこっちへと引っ張り回されていきました。
 最初の大きなドキドキは、青山学院大学の学長へのインタビューでした。インタビューなどしたこともないド素人の主婦に青学の学長にインタビューしろと言うんです。朝からご飯も食べられないくらい緊張したのを覚えています。
 それと同時に私は編集作業の練習も始めました。人前で話をするのは大の苦手ですし、経験はないながらも、編集作業には魅力を感じていました。
 ですから、アゴラの為に自分のパソコンを買い、アゴラの為に編集ソフトを買い、知人にパソコンやソフトの使い方を教えてもらうために通い、時間もたくさん費やしました。
 それまではパソコンとは縁がなく。殆ど触ることもない生活をしていました。マウスも満足に動かせなかったんです。ですから、なかば必要に迫られてという感じで必死で覚えました。
 でも、やればできるものですよね、マイナス点から出発したような私が、4年たった今では、100ページを丸ごと自分で編集してしまえる程になったんです。 

●西尾さんの他界、編集長へ
 その後編集作業は約半分を担当しながら編集委員として働いていました。相変わらず西尾さんにくっついてあっちこっちと顔をだしていました。
 しかし、2年前の2月。丁度今頃なのですが、そのアゴラになくてはならない西尾さんが亡くなってしまったんです。それはものすごいショックでした。アゴラと西尾さんを知る人にとっては、悲しみと同時にアゴラはどうなるのか、という思いでいました。
 西尾さんあってのアゴラでしたので、周囲は勿論、変種委員のメンバーさえ、アゴラはこれで廃刊か……と思っていたんですね。
 でも、私は西尾さんがいなくなって直ぐに廃刊というのはあまりにも情けないと思ったんです。悔しいとおもいました。自分達、編集委員は何をやっていたのかと。アゴラはそんなに簡単に廃刊にしていい雑誌なのかと。私一人が発行を続けたいといいました。
 悔しかったんです。自分が生活の中のいろいろな物をつぎ込んで作ってきたアゴラを簡単に廃刊にするのは。
 西尾さんの為にとか、西尾さんの意思を継いでとか、そう言った美談ではなく、私は一緒にアゴラを作ってきた仲間として、アゴラをそんなに簡単に潰したくなかった。まずは発行する努力をしてみたいと思いました。
 その時、私はアゴラの正式な編集委員となって2年目でした。アゴラは創刊から7年目。新参者の私でしたが、メンバーの中で私だけが専業主婦であり、アゴラを背負い込む事の出来る時間を持っていました。
 山田にその覚悟があるのなら、と存続がきまりました。
 でも、私には全く自信などなかったんです。メンバーの中で一番知識もなければ知恵もない。考えも浅い。市民活動なども深く関わったこともない。そんな人間です。西尾さんは元は新聞記者だった人です。私とは違いすぎる人でした。本当に無鉄砲な事だったかも知れません。でも、続けたかった、アゴラは相模原に無くてはならない雑誌ではないけれど、あった方がいい雑誌だと思ったんです。
 
●編集委員だけのものではないアゴラ
 西尾さんが2月に亡くなって、7月。西尾さんを偲ぶ会を開きました。その時ちょっと異例と言われましたが、「地域雑誌にもとめるもの」と題したパネルディスカッションを企画したんです。
 パネラーには元タウンニュースの相模原支社長だった方、中村書店の社長さん、神奈川新聞の記者、読者としてきこりの磯部さんに参加していただきました。
 そのパネルディスカッションの話を聞いていまして、アゴラは相模原にとってとても重要な雑誌であることがわかりました。全国的に見て、総合雑誌として市民が発行している雑誌は殆どないというのです。発行しても直ぐに頓挫してしまうと。しかしアゴラは7年も続いている。相模原に文化がないと言われることもありますが、アゴラがあることが相模原の文化を示すものになると。
 その話を聞いていて、編集委員一同廃刊にしなくてよかったと胸をなで下ろしたものでした。アゴラの廃刊は編集委員が勝手に決め手はいけないんだと感じました。
 
●何でも屋の編集長
 編集長となってもうすぐ2年になりますが、私は何でも屋なんです。会計も集金も宣伝も営業もやっています。 編集作業は去年までは80%を担当していましたが、一人引っ越して辞めたメンバーがいますので、今年からは私が100%を担当することになりました。
 苦手なことは、人と話をすること。今日も本当にドキドキしながらお話しをさせていただいています。編集長と
 アゴラを続けるには苦手に挑戦しなくてはならないんです。やったことの無いことにも挑戦です。
 自分を飾ることは出来ませんから、いつも自分のままで体当たりしています。失敗してもいいや、恥をかいてもいいや、と思っています。失敗しても恥をかいてもそれだけ経験がつめると。次回に活かすことができると。 だから修行中なんです。自分はずっと修行中という気持ちでやっていこうと思っています。ちょっとした逃げ道でもありますし。
 
●35号目次……アゴラのこれから
 内容はこんな感じです。
 この号はとても評判がよくて、問い合わせなどもあり、売れています。
 
 最近になって西尾さんのアゴラではなく自分達のアゴラとして内容のことを考え始めました。今までは存続することで精一杯でした。少し余裕が出てきたのかも知れませ。
 私はアゴラを柔らかさと硬さを併せもつ、相模原の総合雑誌にしたい。多くの人に手にとってもらえるように柔らかさを前に出し、より多くの人に原稿執筆や取材で誌面に登場してもらいたい。相模原を人で掘り起こしてみたいと思う。
 かつては行政にたいする批判記事ばかりで、共産党の雑誌と言われたこともありました。でも、それはちがうんです。問題提起なんですね。いくら柔らかい雑誌と言ってもその点は忘れずに盛り込んでいきたいと思っています。
 総合雑誌ですから寄せ鍋みたいな雑誌でいいとおもっています。
 相模原にはたくさんの人がいる、様々な活動をしている。たくさんの問題が絶えず起きている。それらを伝え、そして考えるきっかけ、行動するきっかけとなる雑誌をつくっていきたい。
 それを掲載することが相模原を表現することにつながると思っています。
 
●支援のお願い
 アゴラは資金面ではとても苦しい思いをしています。販売収入と広告収入でなんとか印刷製本の資金を賄っています。
 印刷屋さんの理解をいただいて、ある時払いをさせてもらっています。完成時に代金を払えないんです。
 勿論私たち編集委員は全員無償です。 
 一号分の代金を払うと残りは数万円。いつも資金のことは心配しています。
 一号の印刷製本費が215,250円ですが、一号分くらいの蓄えがほしいといつも思っています。
 そこでこの場をお借りして皆さんにお願いです。
 アゴラと言う雑誌の発行主旨に賛同してくださる方、興味をもってくださる方に年間購読や広告掲載で支援をして頂きたいのです。
 
 私は、アゴラが好きです。今は内容も試行錯誤の状態ですが、続けていけばきっともっといい雑誌、それこそ相模原の市民の顔となる雑誌になれると思っています。
また、そうなっていけるように努力をしていきたいと思っています
 つたない話を聞いてくださいましてありがとうございました。
みなさん、アゴラをよろしくおねがいします。