相模原グリーンロータリークラブ
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第628回例会週報

627回 | 629回 | 2005-06週報目次
◆「水源文化都市」津久井町の自慢
山本 恭一 氏
(津久井町史編集委員・「三太かーど」組合顧問)

  先日の「卓話」では、「三太物語」のことしかお話できませんでしたので、この場をお借りして、少し津久井町の自慢話をさせていただきます。

 その前に、やはり、「三太物語」の本をぜひお読みいただきたいと思います。「三太物語」の本は、40種類ぐらい出ていたのですが、いま本屋さんで手にはいるのは次の2冊だけです。@『三太物語』(偕成社文庫30451000円)、A『小説三太物語』(昭和26年刊行の復刻版、光文社、1500円)。そのうえで、

休みの日に、『三太物語』を手にとって、道志川ぞいの「三太の史跡巡り」でもしてみませんか。たとえば、青山水道から、弁天橋、三太旅館をとおって、いまでも橋桁がのぞいている旧道志橋まで……。ちょうどこのあたりは、三太とその仲間たちがいつも遊んでいたところです。この散歩で、もしかすると、この半世紀の間になくしてしまった大事なものなんかが見えてくるかもしれません。【「三太かーど」チラシより】

 以下の文章は、以前『相模原法人会だより』122号(20033月発行)に掲載されたものですが、それに少し手を入れたものを再録させていただきます。

*           *           *

 わが津久井町は、町の将来像を「水源文化都市」とさだめ、町づくりを進めている。町内には、津久井湖・宮ヶ瀬湖・奥相模湖と人造湖が三つもあるが、水源「文化」都市というくらいだから、ダムの数を自慢しているだけではない。今回は、津久井町の水にかかわる「文化」的なものを中心に、わが町の自慢話をしてみたい。

■三太物語

 2002年の10月から、津久井町の商店組合では、「三太かーど」と名づけたポイントカード事業を始めている。この「三太」というのは道志川を舞台にした「三太物語」の主人公の名前である。

 青木茂による「三太」の物語が誕生したのは19468月のこと、「かっぱの三太」というタイトルで、児童雑誌『赤とんぼ』に掲載された。4年後の19504月、「おらあ三太だ!」で始まるNHKラジオの連続ドラマが放送されるや、日本中に知られるようになった。映画も4本あって、1961年からはフジテレビでも連続ドラマとして放映された。三太が渡辺篤史、花子はジュディ・オングという配役だった。

 三太物語の舞台となったのは、道志川下流域の、現在の津久井町三ヶ木や青山のあたりだが、一部は津久井湖に水没してしまった。旧道志橋のたもとにあった「三太旅館」(作者の定宿だった釣り宿)も2キロほど上流の弁天橋の近くに移転して、現在も営業を続けている。

 津久井の自然、とくに道志川流域の自然を舞台にした三太物語だけに、水とは特別に縁が深い。例えば、三太がよく水遊びをした弁天淵、そして三太がカッパ退治に行っておぼれてしまった大ガッパ淵など。このあたりについては、「三太かーど」のHP(http://www.santa-card.org/)に「三太の遊び場」と題して、三太物語「史跡」巡りのためのガイドを掲載しているので、ぜひご覧になっていただきたい。

 ちなみに、弁天淵の上手にあるのは青山浄水場、大ガッパ淵の下にあるのは鮑子(あびこ)の取水堰で、どちらも横浜水道の施設である。鮑子で取水され、青山で浄水された水は横浜市民の飲料水となり、その水質の良さは、外国船航路の船員から「赤道を越えても腐らない水」と賞賛されているのである。

■造り酒屋が2

 水が良ければおいしいものといえば、まずは酒が上げられるだろう。

 津久井町には造り酒屋が2軒ある。中野の清水酒造と根小屋の久保田酒造である。どの蔵も水には大変気を使っていて、津久井の水の良さを生かした酒造りを行なっている。

 「巌乃泉」の清水酒造は宝暦元年(1751)創業で、神奈川県内では最も古い歴史をもつ。その大吟醸は全国新酒鑑評会で金賞を受賞し、国際的な酒のコンクールであるモンドセレクションでは連続して金賞を受賞するなど、国内外で高い評価を受けている。また新発売の古酒「湘山」は、その深みのある味わいで大評判となっている。

 久保田酒造の創業は弘化元年(1844)。その建物は神奈川の「建築100選」にも選ばれ、豊かな自然の景観にも恵まれている。代表ブランドは「相模灘」で、酒粕を原料にした焼酎「喜楽三年貯蔵」もファンが多い。

■豆腐屋が4

 豆腐造りも水と深い関係にある。現在、津久井町では4軒の豆腐屋さんが営業している。青山(関)の西川豆腐、青野原の尾崎豆腐、青根の天野豆腐と佐藤商店の豆腐である。

 この4軒には、それぞれにひいきの客がついていて、わが地区の豆腐が一番と思っている。いちど食べ比べる機会があったが、微妙に味の違いはあるものの、どれもなかなかのものだった。

 聞くところによれば、豆腐造りに使う水は、それぞれ近場の沢から引きこんだ町営の簡易水道だという。その味の違いが、沢の水の違いによるものだとすれば、なんとも「水源文化」にふさわしい話である。

 4軒のうち、青根の奥の音久和(オンガー)地区にある佐藤商店の豆腐は、週末しか作っていないので、津久井町でもほとんど知る人のいない幻の豆腐である。

 この4軒の豆腐屋さんは、基本的には地元の常連がお客さんなので、あまり宣伝されるのを良しとしないようだ。そんなわけで、ここでは詳しくご紹介できないが、津久井散策のおりにでも、ご自身で「発見」していただければと思う。

■和菓子屋も4

 それから、津久井町には和菓子屋さんも4軒あるのをご存知だろうか。中野の武蔵屋と高尾屋、青山(関)の泰平堂と桃月堂である。

 和菓子というのは、たんに味だけでなく、それに芸術的な装いや季節感が加わった、それこそ日本の文化の集大成みたいなものだ。津久井町に4軒の和菓子屋さんがあることは、誇ってもよいだろう。

 とくに関では、2軒のお菓子屋さんがほとんど隣り合って、百年近くも商売している。この地域には、それほどに和菓子「文化」を理解する人が多いということだろう。

■尾崎咢堂

 さて「三太物語」から始まった津久井の町自慢だが、最後に忘れてならない人物がいる。咢堂(がくどう)尾崎行雄である。明治・大正・昭和の3代にわたって憲政一筋に歩み、「憲政の神」「議会政治の父」とうたわれたこの大政治家は、安政5年(1858)、津久井町の又野に生まれた。

 地元では、尾崎家の屋敷跡に尾崎咢堂記念館が建てられていて、「尾崎行雄を全国に発信する会」も活発に活動を続けている。

 その詳細な伝記は、2002年、地元の「つくい書房」(中野の山本書店出版部)から刊行された。大塚喜一著『咢堂尾崎行雄ものがたり』である。この本も、発売は津久井限定で、この町から全国に発信しようとしているのである。