相模原グリーンロータリークラブ
↑ トップページへ ↑

相模原グリーンロータリークラブ
第468回例会週報

467回 | 469回 | 2002-03週報目次
◆卓話「四国八十八ヶ所歩き遍路一人旅」渡邊公夫 元会員
<四国八十八ヶ所歩き遍路一人旅>
 渡邊公夫 元会員

四国八十八ヶ所歩き遍路一人旅 渡邊公夫  平成14年3月4日11時過ぎ、私は徳島県の板東駅に下り立った。ローカル線ではよく見かけられる、ごく普通ののんびりした、乗降客も少ない小さな駅だった。

 一番札所の霊仙寺(りょうぜんじ)までは歩いて15分。山門から境内にかけては大勢の参拝客で賑わっていた。お寺に隣接している遍路用品を売っているお店で、金剛杖、白衣、数珠、納経帳、納経掛軸、経本、持鈴、ロウソク、線香などを買い求めた。お店の人にお寺でのお参りの仕方や遍路中の注意すべき事項などを伺ってから霊仙寺の山門をくぐった。

 札所には必ず本堂と太子堂があり、二ヶ所でお経をあげ、線香とろうそくを灯すことが正規の参拝方法であると聞いたばかりだったので、その通り実行した。

 私は事前にお経については何の準備もしていなかったので、買ったばかりの経本を広げて読んだ。これが結構時間が掛かる。しかも大勢の参拝者がいるので、つっかえ、つっかえ大きな声で読むには相当な勇気が要る。ともかく教わったとおりの作法でお参りをした後に、納経所で納経帳と納経掛軸に墨所受印を戴いた。12時50分霊仙寺の山門を潜り抜け、早春の陽光を浴びながら二番札所に向かった。四国八十八ヶ所歩き一人旅の始まりであった。

 初日は五番札所までお参りすることが出来た。宿泊所は旅に出る一週間前に、とり合えず初日と二日目までを予約しておいた。その後は当日の昼前後に遍路協会が発行しているガイドブックを見ながら最寄りの宿泊所に携帯電話で予約した。

 初日の宿泊場所である民宿に到着したのは夕方6時であった。予定より1時間ばかり遅くなった。この原因は札所での読経、お参り、そして納経所での待ち時間である。途中から急ぐ時には読経を省略するようになってしまった。納経所での待ち時間というのは団体客がバスで大挙押し寄せた時に生ずる。団体客の場合、添乗員がまとめて納経帳や掛軸を窓口にもってくるので、それを待っていると随分時間が掛かってしまうことになる。このへんが時間を読めない最大の要因である。札所によっては歩き遍路と分ると、声をかけてくれて墨書受印を優先的にしてくれるところもあった。

 四国では札所の住職、団体客、添乗員、民宿の小母さん、道ですれ違う地元の皆さん全てが歩き遍路者には大変親切に接して頂ける。「お接待」と称して遍路者に金品を施しことによって、自らも功徳を積むといった風習が連綿と続いており、私も何回もこの「お接待」を受けた。得に歩き疲れている時に「大変でしょうがこれからも頑張って歩き続けて下さい」と一声かけられ、美味しいみかんやお菓子を戴いた時は本当に涙が出るほど嬉しく、人の情けがこれほど元気付けてくれるものかと自然と手を合わせてしまう。

 病院通いをしている老夫婦、奥さんとお孫さん二人をこの一年間に亡くしてしまった初老の男性からの「お接待」が今だ強烈に脳裏に焼き付いている。最初のころは札所でのお参りは、私や家族の極めて個人的なことばかりであったが、「お接待」を受けるに従い、これらの人達の幸せをも祈らずにはいられなくなった。

 私はご存知の通り、喫煙愛好者の一人であったが今回の旅に出るにあたり、愚妻からくれぐれも遍路旅中は歩き煙草だけは止めるようにと注意された。私自身も遍路姿で加え煙草は様にならないので、歩きながらの煙草は止めようと思っていた。結局、出発した4日の朝、自宅で二、三本の煙草を吸ってから旅が終了した4月14日まで一本の煙草も吸うことはなかった。禁煙は現在も続いている。嬉しかったのは煙草の禁断症状が殆ど出なかったことだ。ニコチン中毒には罹っていなかったという証拠だ。

 普通の旅行と違い、私にとっての遍路旅は、克己心を試す修行という意味合いも若干ながら頭の片隅にあった。初日の夕食時に同宿の何人かの人はビールを美味そうに飲んでいたが、私は敢えて注文しなかった。禁酒も1週間続いた。これまた禁断症状はでなかった、嬉しかった。アルコールは1週間後から4?5日に一回飲むようになった。

 一日の行動は朝5時30分の起床から始まる。洗面後荷物をパッキングし、ストレッチをし、6時15分から30分にかけて朝食。7時前後出発。16?17時に宿に入る。一日の歩行距離は平均して30km位だったと思う。一番歩いた時で四十数kmに達した。直ちに洗濯、風呂に入り18時夕食。靴の手入れをしてから簡単な日記を書き、21?22時就寝。なお、洗濯は民宿の小母さんがやってくれる時もあった。

 昼食は殆どがパン食。食堂で食べたことは一回もなかった。パンとチーズ、牛乳、果物。時間がない時は歩きながら食べた。夕食と朝食のなんと美味しかったことか。

 殆どの歩き遍路者が足の故障(マメ、捻挫、疲労からくる炎症等)に悩まされる。一旦自宅に戻り治療に専念した後、再度四国に渡って遍路旅を続けている人や、歩き遍路を断念し、足の故障が直るまでバスや電車での遍路を続けている人にも何人か出会った。

 私は歩き始めて10日程経った時に右親指に小さなマメが出来たが、針を焼いて中の水を出した後、ヨードチンキを塗って完治した。その後は何のトラブルにも見舞われることはなかった。これもお大師様のお陰と感謝している。

 もうひとつの要因として遍路旅に備えて日頃から歩くトレーニングを続けてきたことが挙げられる。天気の良い日には大体15?20kmは歩いた。最も自信がついたのは自宅から出発して山手線外周を歩き切ったことだ。時間にして13時間、距離は五十数km。距離に対する恐怖感が無くなった。

 いざという時に備えて常備薬を持参したが、結局使用したのは足のマメ治療に使ったヨードチンキとバンドエイド、テーピングのみだった。

 松山の道後温泉に二泊して「坊ちゃん湯」で朝晩温泉に浸かり、市内観光を楽しみ、英気を養った。

 4月10日に最後の札所「大窪寺」を参拝し、無事結願(けちがん)することが出来た。高知県の、長い札所間の道程を歩いている時は早く八十八番の大窪寺に到達したいと念じながらひたすら歩き続けていたが、愛媛県から香川県に入り、後何日で結願の日を迎えられると計算出来るようになってからは逆にもう少し旅を続けたい、もう少し歩き続けたいという気持ちがふつふつと湧き上がってきた。

 4月11日に一番札所「霊山寺」に戻ってきた。納経所で納経帳に本日の日付を墨書して頂き、出発の時にお世話になったお土産屋の若主人に無事結願出来たお礼を述べた。

 12日に徳島市フェリー乗り場まで歩き、船で和歌山に渡り、電車を乗り継いで九度山に着いた。翌13日に孔法大師の母君縁の「慈尊寺」を参拝し、高野山に登った。慈尊寺から高野山に至るまでほとんど人に出会うことなく、一人旅の締めくくりにふさわしく静かな山中を歩きながら、今回の遍路旅の思い出にふけることが出来た。奥の院で孔法大師様に四国八十八ヶ所遍路旅を恙無くやり終えた報告とお礼のお参りをした。

 14日には宿坊で朝の勤行で身を清め、朝食の後再度奥の院に参拝し、金剛峰寺を参詣、見学した後帰路についた。

 夕方にはビールを、日本酒を、テレビを見ながらグイグイ、チビチビ飲んでいるいつもながらの私の姿がそこにあった。

 旅の途中での話‥。

1.歩き遍路者は旅の途中で一回は孔法大師に会うと言われている。初日に泊まった民の主人からその話を聞いた。そして私を孔法大師のお像の前に座らせて、なにやらお祈りを始めた。暫く私の肩に手をやって、おもむろに父の体型の特徴を言い始めた。八割方合っていた。そして主人曰く、父が今回の遍路旅を大変喜んでいると言う。更に必ずお大師様にお会い出来るだろうとの神託を下してくれた。

 翌日、早めの夕食をとり、同宿の人と雑談にふけっていた時、突然太ももに痙攣を起こした。痙攣は左右交互にきた。初めての経験だった。我慢できないような痛さではない。何かの信号のようにも思えた。今回の旅でこのような経験をしたのはこの時だけだった。ひょっとすると父が私を激励してくれたのか、または孔法大師様がきちんとお参りして父の供養をしっかりしなさいと言うお告げだったのか。不思議な体験だった。

2.室戸岬に向かっている時の話。その日は金曜日だった。懐のお金は一万円を割っていた。近くの郵便局でお金を引き出そうと立ち寄った。ところがである。キャッシュカードが無い!あるのはキャッシュカードを入れるビニール袋と説明書のみ。さすがの私も慌てた。郵便局で何とかならないかと相談してみた。便利な方法があるのだ。電信為替を組んで送金してもらうやり方だ。さっそく女房に電話し、自宅近くの郵便局で入金し、立ち寄った郵便局から更に10kmほど先に行ったところの郵便局で受け取る手続きをした。そして無事お金を受け取り、心配なく旅を続けることが出来た。なお、キャッシュカードは高知郵便局止め扱いにして、数日後受け取ることが出来た。長旅には郵便局のキャッシュカードが一番便利だ!どんな辺鄙な村町にもかならず郵便局はある。地方の郵便局員は皆親切だ。

3.札所の半数以上はそこそこ高い所にある。200メートルくらいの高さであっても下からいきなりの上りだとかなりしんどい。札所はもともと修行の場であることを頭に入れ、初めから心しておいた方が無難だ。遍路者が急な登りと暑さにやられて救急車のお世話になっていた光景にも出くわした。

4.とても悲しい話であるが遍路路のある山道を歩いていると産業廃棄物の山に出くわすことがある。また道端に無数の清涼飲料水の空き缶が投げ捨てられている。ほかにも弁当の空き箱、煙草の吸い殻等。私のように四国八十八ヶ所の遍路路は聖地だと思いこんで来た者にとっては大変ショックな光景だった。地元では四国の遍路路を世界遺産に登録しようという運動も盛んに行われている。少なくとも遍路者だけでもゴミは必ず持ち帰ることにしたいものだ。お大師様もきっとお嘆きになっていることだろう。

5.タイトルで一人旅としているが、決して一人で旅して来たということではない。旅の途中でいろいろな人と出会い、お世話になり、助けられながら毎日の旅を続けてきたことに本島に感謝している。旅をさせてもらっている、生きさせて頂いているという気持ちが、歩いているうちにだんだん深まってきた。金剛杖にも「同行二人」の四文字が書かれている。遍路旅は孔法大師様と常に一緒であり、決してひとりではない。道に迷ったりして、本当に困った時に孔法大師様にすがりたくなる気持ちが自然と湧いてくるから不思議だ。

 一人旅としたことの意味合いはグループでの観光旅行ではないという程度のことである。40日以上一人で歩き続けたことは初めての体験だったが、有り余る時間の一部を今までの自分の生き方を反問することに使えたことは大変有意義であった。

 ある哲人は「真の幸せは全てを捨て去ることだ」と渇破したそうだが、歩いている時にふとそんな気持ちにもなった。遍路旅は人の心を素直にし、欲望、邪心を払い除ける効能を有しているに違いない。

〈参考文献〉
1.歩き遍路を実践したい方には
 宮崎 建樹 著 「四国遍路一人歩き同行二人」(2冊)
        (へんろみち保存協力会発行) 3,500円
2.歩き遍路旅の真髄を知りたい人には
 辰濃 和夫 著 「四国遍路」(岩波書店発行 岩波新書) 735円  


7月誕生日の会員
 おめでとうございます。