相模原グリーンロータリークラブ
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相模原グリーンロータリークラブ
第462回例会週報

461回 | 463回 | 2001-02週報目次
◆卓話「卓話」平井会員
<卓話>
 平井会員

 月曜日現場より戻り机に目をやると、グリーンロータリーの萩原さんより電話との事、早速電話を入れると、「頼みがある」と言う、渋々「何と」言うと、「今度金曜日卓話を頼む」と言う、「いやだ・いやだ・ダメ・ダメ、忙しい」何を言っても「頼む、お願い、無理は解っているけど」と、泣きを入れての懇願、頼まれると断われない性格と、入会の際に大野さんに言われた半分脅迫めいた「ロータリーは頼まれたら断わってはいけない、持ち回りでやるから面白い」この言葉が脳裏を掠め、つい「わかった、適当に、委員長だから会報の事でもはなすわ」などと言ってしまい萩原幹事はホットした様子で電話を切る。当の自分はすごい後悔をしながら忙しさに忙殺した振りをして日々仕事をこなし、気が付けば木曜日夜8時、鳴呼!明日は金曜日例会の日?卓話の日 デモ腹が減ったので夕飯食べてから明日の卓話の事考えようと思い一度自宅に戻り夕飯を食べていると折しも、ワールドカップ、フランスVSウルグアイ戦をやっているではありませんか、ついついテレビに見入ってしまい最後まで見てしまい鳴呼これで王者フランスも大変だな、などとつぶやき時計に目をやると10時過ぎ「ゲ!!」と一唸り大変なのは俺だ!!
 急いでパソコンの前に座り原稿を書こうと思ったがちょっとゲームをしてリラックス何て思ったらもう11時過ぎ、慌ててワードを開いて取敢えず{たくわ}と打つと1.炊くわ2.焚くわ3.宅和4.多久和5.タクワ 卓話が出てこない??おんぼろワープロと怒りつつ何の疑問もなく卓話と表記しているけど日本語なのと思いつつ金田一京助編集の国語辞典を引いて見ると何故か載っていない、手元にあるロータリー関連の本を片端からめくって見ても卓話の語源・意味・由来などは載って無く変な所で時間を食い会報委員長としての卓話のネタが見つからずに時だけが過ぎて行きもう、どうにでも成れ、と思い、この様などうでもいい事おを話す事にしました。しかし、この結果は幹事の萩原さんの人選が悪いので有って決して私が悪いのでは無いのです。この事を十分理解して頂き、もう少し私の戯言に付き合って頂きたいと思います。戯言と申しますのは稲本の幻のゴールは絶対審判が下手糞で、日本がホームチームなのにトンでもない等と言う事では無く、ワープロを使う時標準語で無いと上手く変換しない!と言う事なのです。
 例えば、先ほどの王者フランスの{王者}おうじゃデス。オオジャでは大蛇に成ります、私の感覚ではオオジャです一歩引いてもオージャです、決してオウジャでは無いのです、皆さんはどうですか、私が田舎者で訛っているのでしょうか?
 わたし、わたくし、どちらも私に成ります、辞書によりますと、わたしはわたくしが変化した物とあるが、わたしは東京弁イコール標準語で認知されたから、わたしで辞書に載っているがもしも、関西弁イコール標準語であったならば、{わて}を変換すると私と成ったかも。ちなみに、辞書には{わて}方言わたしと、有ります。わたくしでは有りません。
 もう一つ、よく間違えるのは会員-私的には-姦淫(カンイン)とんでもない漢字に成ってしまう。こんな私は大馬鹿か、とんでもない田舎の者か(田舎って何処?)
 戯言はこれで終わりですが、この様な経験を皆さんもしているかと思いますがどうでしょうか?
 会報に関する卓話と思い、色々考えましたが、適当な題材が見つからず、こんな話になりましたが、ご勘弁ください。{こんな}も方言正しくは{この様な}か?多分私は相模原弁なのかな?(石井さん、相模原の方言調べてみてください)

   来週はクラブ協議会です。皆様原稿のご協力お願いします。

 これで、約2000文字に成り原稿の体裁も整ったと思われますので終わりにします。卓話者の皆さん原稿は2000字以上2500字未満位が最適です、宜しくお願いします。 会報委員長よりのお願いでした。

<相模原中RC 25周年に参加して>
 萩原幹事

 去る6月1日に相模原グリーンホールで開催された、相模原中RCの25周年事業に参加しその事業の一環として自由の森学園の校長からの講演がありました。その講演の中で印象に残ったいくつかの話について、みなさまにお伝えします。
 自由の森学園は、埼玉県飯能市で開校されている学校ですが、中学高校の教育を行っております。 まず最初に講師に来られた校長の若さに驚かされました。間違いなく30歳前半であろうかと思います。非常に教育にたいし情熱あふれる活動をされているのが講演内容から伝わってきました。

 自由の森学園の教育精神は

「一人一人の子供たちや若者たちが、まさに人間らしい人間として成長することを助ける教育。計り知れない精妙さや限りない可能性を持った人間への崇敬を基調とする教育。若者たち一人一人の中に、豊かな知性、鋭敏な感性、理想を求める意志に力が成長段階に応じて仲良く育まれることを助ける教育。人間を自由で自立的な行動へ導いていく自由の教育。今を生きる若者たちの想像力を放ち、かしこさと正しさと本当の優しさを育てる教育。」

この精神を基に独自の教育を行っている学校です。