<1918年>1918年-(大正7)-ミズリー州のカンザス・シティーでの第9回「戦勝」特別国際大会には、記録的な4,145人の会員が集まった。首都ワシントンのジョン・プールが会長に選任される。 400番目RCがカンザス州フォート・スコットに誕生し会員は4万人を超える。 前年のカナダ人レスリー・ピジョン会長後、会長選択基準が決まる(同一国から、連続3年就任はNO!)。 南米ウルグァイに、H.コーツが南半球で最初のモンテビデオRCを設立する。 カンザス・シティーRC.より財団への最初の寄付金が入る-26$50¢だった。 1月に米ウィルソン大統領が「平和のための14ヵ条」を提示する。 内容は米参戦の意義を明らかにするもの。 具体的にはウィルソン大統領念願の《国際連盟の提唱、軍備縮小、公海自由の原則、秘密外交の排撃、ロシア・ベルギー・フランス・イタリア・バルカン諸国やトルコ少数民族の原状回復と保護》などを格調高く謳い、相手国ドイツに対しても、戦争目的があくまで平和回復であることを強調した。 戦時下で米食糧節約、フーバー食糧庁長官が月・水を小麦なしday、火曜を牛肉なしday、木・土を豚肉なしdayと決める。「戦時禁酒法」が施行される。 ニューヨークのブロードウェイーの劇場が石炭節約のために閉鎖! 3/31から全米で夏時間を実施。米政府の斡旋で4鉄道会社が合併し、アメリカン・レールロード・エクスプレス会社が設立される。これにより戦時必需物資の積み出しが円滑化される。 GMがシボレー買収、シェアーを急拡大。 米テネシー州のナッシュビルのチャタヌーガ・セントルイス鉄道で列車が正面衝突、99人死亡、171人が負傷する。これまでの米最悪の鉄道事故となる。 世界大戦のためにブラジル、ペルーなどへの欧州系移民が減少し、日本人移民が激増する。 英国で最初の普通選挙実施、約600万人の女性が初投票。 9月、西部戦線で独軍総くずれ(8/8、独軍暗黒の日?)! 米陸軍第81師団 (ヤマネコ師団)の勇名が全米に轟く。 ハプスブルク家滅亡(12C.〜)! 米でスペイン風邪猛威(約50万人死亡し、ワシントンでは柩の在庫ゼロ)! さらにスペイン風邪は世界を覆う、死者総計2500万人に達する。米厳寒冬。 11月に第一次世界大戦が終わる-コンピェーヌの森の鉄道列車で休戦協定。 シベリア出兵を見越した米穀商人の投機、米価高騰に反発し、日本各地で米騒動-37市・134町・139村、検挙者2万5千人に達する、部落民も参加! ※ 国際ロータリークラブ連合会綱領の変更 1918年、カンザス・シティ大会において、国際ロータリークラブ連合会綱領のみが、次のように改正されました。 <国際ロータリークラブ連合会綱領 1918年 カンザス・シティ大会>
* 参考 <国際ロータリークラブ連合会綱領 1915年 サンフランシスコ大会>
※ ポール・ハリスの言葉 「地上に平和を、全ての人に善意を」という努力がことごとく実践不可能とされるような希望のないロータリーが生き続けるより、目的に効果的に献身してきたロータリーが滅んだという思い出を抱いているほうがよい、と私は、ベルギー人のような心で断言できます。 ※ 第7代、カナダ人の会長、レスリー・ピジョン氏のロータリー観 「ロータリーの第一の目標は、各個人をその日々の仕事に、適切に関連させることにある。これがロータリーとして、何よりもまず遂行しなければならない義務である。最初の考え方は漫然たるサービスではなくて、特定のサービスであった。しかし同時に、一方においてロータリー・クラブは、その会員をして、それぞれの日々の仕事に、サービスの理念を体得するように教育しなければならないと共に、他方においては組織としてのロータリークラブの力を強めるために、それとは違う異質のサービスが必要だということを見逃してはならない。」( ROTARY MOSAIC ) ※ 「狼は群の力であり、群は狼の力である」 レスリー・ピジョン会長は、「狼は群の力であり、群は狼の力である」というキプリングの「ジャングルの法則」という詩の一節を引用し、ロータリーは「個人奉仕」か「団体奉仕」か、の議論に明解な解答を与えたといわれる。 つまりアーチ・クランフの提唱した「国際理解のための教育基金」は、世界中のロータリアンが拠出して基金を作る訳で、それを運営して使うのは団体であるからそれは団体奉仕であろう!しかるにロータリーは個人奉仕が基本であって、これを奨励しているのであるから、基本理念に反することになる! という意見が当時は相当に有力であった。 この異見に対し、上記の「ジャングルの法則」で答えたのがレスリー・ピジョン会長であった。 すなわちロータリアン個人個人の奉仕は、積もり積もって連合会の大きな奉仕のエネルギーになる、連合会が世間一般から評価されることは、ロータリアン個人の奉仕の原動力となって作用する、と説いたのである。 しかしその後の「国際理解のための教育基金」への寄付は、決して活発ではありませんでした。 10年後の1928年に至って財団法人への登録が行われ、基金の名称が「ロータリー財団」となり、200万$の寄付金募集を推進する方針が打ち出されました。 しかし実際に「教育基金」の目的とされた青少年に対する国際理解のプログラムが発足したのは、1947年であり、ポール・ハリス逝去をきっかけとした「ロータリー財団奨学生制度」まで待つこととなります。 (「ロータリーの歴史」?75年の歩みを振り返る?、福岡西RCより抜粋) ※ 「狼は群の力であり、群は狼の力である。」 これは、ルドヤード・キップリングが、短編集「ジャングル・ブック」の中の「ジャングルの法則」で述べている言葉です。キップリングは1865年生まれで、1907にノーベル文学賞を受賞した、イギリスの愛国詩人と言われる人です。ポール・ハリスと同年代に活躍した人ですから、あるいはロータリアンであったかも知れません。 この言葉を最初に引用してロータリーを語ったのは、1917年のRI会長レスリー・ピジョンが会長エレクト時代ですが、後年、ハロルド・トーマスも、この言葉が特に気に入ったと見えて、彼の著書「ロータリー・モザイク」の 中で再三引用しています。 ハロルド・トーマスは、1959年にRI会長を務めたニュージーランド出身のロータリアンで、「ロータリー・モザイク」という名著を残しています。 モザイクは形も色も大きさも異なったタイル片を組み合わせて作ります。 ロータリーも人種や言語や宗教やそして考え方さえ違った人が集まって作り上げるモザイクのようなものだと言うことで、この題名をつけたといわれており、1905年から1970年代までのロータリーの思想の移り変わりを詳しく解説した本です。 その本の中で、キップリングの「ジャングルの法則」が度々、引用されています。 「狼は群の力であり、群は狼の力である」。 この言葉は一体何を意味するのでしょうか。一匹、一匹が強靭な体力と優れた頭脳を持っている狼は、群を作って行動します。群には必ずリーダーがいて全体を統率します。 リーダーが優れたリーダーシップを発揮し、他の狼がチームワークを組んで一糸乱れぬ行動をするとき、その力は計り知れないものに変化します。 羊は例え1000匹集まったとしても何の力も発揮出来ません。群から離れた一匹狼も、荒野をたださまようのみで、やがてはのたれ死にする運命が待っているのです。 この話は I serve とか We serve とかの次元の話ではなく、ロータリアン個人個人は皆素晴らしい能力を持っていることを前提として、それに強力なリーダーシップと、揺るぎなきチームワークが加わったらどうなるかを説いているのです。 魅力あるクラブには、必ずといっていいほど、優れたリーダーシップを持った会長がおり、全会員のすばらしいチームワークによって、クラブの運営がなされていくのです。(田中PGの"ロータリーの源流"、「炉辺談話」より) |